荒井優作 - 「近く」の感想とエッセイ(?)Ⅰ

更新が4週間以上遅れてしまった…。

 

色々あったんだ。

 

それは置いといて俺は人情味がないバカ人間で、たいして好きなものもなくて、強いて言うなら音楽が好きかな〜って感じだけどそこまで多くの音楽を聴きあさってるわけでもなく、今から感想を書こうとしてるアルバムも別に金を払って購入したわけじゃなくて、bandcampの試聴で一回流して、感想書きながら聴いてるって感じです。感想書く資格ない!笑

 

buy nowers club?ってあるじゃない?名前合ってる?dirty dirtさんとかがやってる冊子…かな??色んな人が最近聴いてる音楽とかをのっけてくやつ。

 

あれ読んでると本当に音楽好きな人っているもんなんだな〜って思うよね、すごいよねどうやったらそこに辿り着けるの?って音楽しか載ってないんだもんね。で解説もまたすごいよね。頭がいいよね。俺ってばそもそも電子音楽よりインディーポップとかの方が好きなんだよね、てかそこまで音楽知らないし、頭いい文章書けないんだ〜もっと勉強すればよかったな いや今しろ!

 

あれ、何書こうとしたのか忘れちゃった…。

 

エクスペリメンタルな音楽がその冊子には本当にのりまくってて、すごいなあと思う。で荒井優作さんのこの「近く」という作品は俺はまたもavyssで知った。avyssがなければtwitterにも最近顔を出していないからこのアルバムのことを知ることはなかったんじゃないかな。

 

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あらべぇ名義でJesse Ruinsのリミックスをしていてとてもよかったけれど、そこからは何も知らなかった。このアルバムは2015年に製作された作品なのが恐ろしい。タイムレス。

 

buy nowers clubに載ってる音楽ほど遠くにある音楽では無くて、avyssがあったからこのアルバムは俺の手に届く距離にあってくれた。

 

そしてこのアルバムは誰の心にも届き得る、皆んなの「近く」にある作品なのではないかと思う。

 

音楽のことを知らない素人の俺の耳にも、この作品は多分サンプリングや録音を主に使用した音楽なんじゃないかなということは感じられる。もしそうじゃなかったとしてもmidiで打ち込んだ感が一切ない。カセットテープやビデオテープの音のゴワゴワ感やノスタルジアが作品全体を包む。

 

音楽っていうのは、もともと音の録音であり、それは音の「記録」であると言い換えても差し支えない。もしそうであるとするなら、この音楽はまさに記録のコラージュと言っていいのではないだろうか。断片的な記録を寄せ集めて優しく織り上げられたコラージュ。個人的な感覚だけど、この作品を聴いたとき、ある意味でドキュメンタリーみたいだなと思って、誰かが録音した「何か」を一個一個聴いてるみたいになってきて、普通の音楽を聴く感覚と違う感覚に陥った。「音楽って何だったっけ?」と割とマジで思った。

 

そういえば一曲目のタイトルは「。っ」。一文を言い終えた後のほんの短い空白、そして何か言葉を言い出す前のタメの時間。意味そのものや価値を見いだされない全てのものにフォーカスを当てているような作品なのではないだろうか。

あと、他の曲目の言葉もどれも断片的で、この作品の真のテーマは荒井さんのみぞ知るといったところだろう。しかしだからこそ胸に引っかかるのである。目を凝らして細部を探してもよく見えないけど、引いて見るとよくわかる感じなのかな!

 

そして常に揺らぎながらやってきては消えていく美しい音像を意識させるのは、この手の作品の中では驚くほど強調されたポップかつマジカルなメロディである。この手の作品では考えられんくらい聴き手をぐいぐい引っ張るから聴きやすい。歌物が好きな俺はメロディを聴いているような気もする。

 

カテゴライズの枠に入れようとすることもなく、私達はただこの音楽にずっと耳を傾け続けるだろう。この作品は「experimental」としか言いようがないし、何を聴いているのか時々わからなくなるから。ただ言いたいのは、この作品の非日常的な優しさは本当に美しい。日常に潜む非日常っていうか、ぼやけた境界線を感じる。多分この作品を聞くとあなたの新しい感覚が一つは開くと思う。それは、このアルバムには私たちが感じられそうでギリ感じられない何かが詰まっているから。僕も、もし感受性を失いそうになったときはこんな作品が近くにいてくれたらなと、ふと思う。

 

本当に素晴らしい作品。美しいし、万人受けすらし得るような人懐っこさがある作品でした。

 

 

…もうちょっと素直に感想書きたかったね、なんか無理やりカッコつけた感すごい。アンキャニー?とかmessageの記者の人はもっと頭のいい文章書けるんだろうね、すごい

 

簡単に言うと、本当にこの作品いいです。ぜひお聴きなすって!

 

 

「ファースト・インプレッションの大切さ」(エッセイ?)

 

エッセイと言えるほど大したものではないんだけど、最近すごく共感した文章があった。それについて書くエッセイみたいなものです。エッセイではないけど。

 

それはmessageの記事で、おそらく2018年に書かれたものだと思う…

 

NO喫茶というアーティストのアルバムの感想を「Chocolat heartnight」さんが書かれていて、それを読んで自分がなんとなく感じていたことが抽出されたような感覚に陥った。

 

 

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好きなのだけれど理由をうまく説明できないものやことや人というのがある。説明しようとすればするほど、自分の中にある好きの本質から遠ざかっていくような、好きという感情の周りをぐるぐる回っているだけみたいな、そんな感じになる。すぐそこに見えているのに歩けど歩けどたどり着けない目的地だ。また逆に、理由をいくつも説明できるほうがそれを好きな気持ちが疑わしくなってくることもある。“それ”が好きなのではなく、“それ”を覆っていたり、“それ”に付帯していたりするものが好きなだけなのではないか、“それ”の内側が好きなのではなく外側が好きなだけなのではないか、そんなふうに思える。外側といっても見た目が好きとかそういった話ではない。わけもなく好きな見た目はむしろそれ自体が説明のしようのない、かつ、強い理由となり得るだろう。『NO KISSA』を聴いていると、そんなことを考えてしまう。NO喫茶のサウンドにはひかれるが、その理由を説明するのは難しいからだ。それでも、置いてきた記憶のかけらを含んでいそうな空気を持つそのサウンドは心地良い。もっとも、「膨大なレコードライブラリーの中から生み出されるトラック群」ということなので、どこかにノスタルジーのスイッチを押す何かが隠れている可能性もおおいにあるのだが。何にしても、上手く説明できないけれどなんとなく好きだなあというのは、きちんと言語化できるよりも確かで幸せだということもあるのだ。

 

これ…そう思うわ。

相手の質問に対する回答を考えるときとか、考えれば考えるほど本当の自分の思いから遠ざかってくような気がするんだよね。邪念っていうか、別な思いで本心を上塗りしていくかのようなね…

 

だから、ファースト・インプレッションと朝起きてすぐの自分が本当の自分なんじゃないかって思うんだよね。当たり前かもしれないけどね笑 ブログ書いてても、書くのが長時間になるにつれてどんどん純粋さが失われるような気がしてならないんだよね。

 

そういうことを見事に全て文章に起こしてくれてたので、引用させて頂きました!

 

ありがとうございました!

 

最近色々あったけど、それについては後日詳しく書くかもしれないし書かないかもしれんけど、ペフさんが丁寧に話を聞いてくださってそれで質問してくださったから本当によかったと思ってます。朝起きてすぐにメール書き始めても本心がわからなくなっていたことばかりだったけど、何か一つ言うとそれを自分の死角からのアドバイスや質問に変換して投げ返してくださって、またそれによって全部言いたいことを言えて結局色々と納得できたような気がする…。返信遅くなったのは本当に申し訳なかったしこんなモチベの人間はさっさとハジきたかっただろうとも思うのですが、ありがとうございます。ペフさんだけじゃなくて、この件で相談に乗ってくださった全ての方々に感謝したいです、ありがとうございます。

(何で急にペフさん出てきた、何があったって思われると思うけど笑)

 

とりあえず久しぶりに更新できてよかったです。

ありがとうございます🙇💙🌎🍀🌙。

それではまた。

 

てかマジで単位落としたくないんだけど本当にまずい…。どうしよ…。