花火大会などⅠ

最初から運命が決まってるわけではなく、その時々でどう動いたかで結末が決まっていくっていう人生の仕組みって結構愛があるなと思い何か感動した。

 

昨日花火大会があって、近所の公園で見た。

始まる2時間前から最寄駅に沢山の人が流れてきていた。道路は渋滞が起こり、警備員さんが交通整理をしていた。

一人で見ようかと思ったけど結局家族と一緒に見た。開演15分前くらいから、気づけばたくさんの人々が公園に集結していた。コロナ前では絶対に見れなかった光景だ。

そして花火大会がスタート。チケットを買って会場のアリーナの中に入れば、ライティングや音楽などの装飾と共に間近で花火を見ることができたのだろう。しかし、僕はそこから遠くにある山の上のとある公園で家族と一緒に見ることにしたため、音楽や豪華な光などは何も感じられずに花火だけを鑑賞していた。

 

それでも、というかそれで良かったと今は思う。花火自体の素朴な美しさに心打たれていた。

花火を見ている間はDJのことを思い出していた。花火でも音楽でも、何らかの表現を一定時間連続で流して人々を楽しませているのであれば、極端な話全てがDJingという行為だと言えるんじゃないかとかを花火を見ながら考えていた。

 

当たり前かもしれないがパフォーマンスの中には明確に緩急や展開があった。ずっと大量の花火をぶっ放していたわけではなかった(それでも全体を通して多かったけど)。最初から徐々に花火の量を増やしていき、途中では変わり種の花火を発射して飽きさせないような工夫がなされていた。

 

そして最後にはこれでもかと言わんばかりのありったけの花火が発射され、空が隙間のないくらいに金色に覆い尽くされて終幕した。

純粋だった。単純だけど全力のパンチを何回も放ってくるような感覚だ。一切嘘がなくて、全てが浄化されていくような気がした。コロナ後で初めて花火大会がようやく開催できたことや、ふと辺りを見渡すと子供たちが嬉々として走り回っている光景も相まって、普通に泣いてしまった。感動した。

 

終わってからも心地よい余韻が残っていた。

高校の学祭に行った後だったので途中で帰るんじゃないかとか思ってたけど、結局最初から最後まで全部見た。

そういや高校の学祭もとても楽しかった。本当に希望だなと思った。生徒の人たちが何かめっちゃ普通に話しかけたりしてくれたのも嬉しい。

 

諸々ありがとうございました。

 

 

もしSNS自民党に票入れたよっていう投稿ばかりがTLに流れてきたら、自民党に票を入れちゃったりするのかなとか思ったりした

 

よい